多摩新聞とは

– 沿革 –

『創刊』

明治四十二年(1909年)に創刊されていた「週刊 多摩新聞」。なんと、調布にある祇園寺という寺の八十八代住職、中西悟玄師が一人で発行していたというのだから驚きである。六ページ前後からなるこの新聞は、発行部数や配布地域など、詳細は不明だが、かなりバラエティに富んだ内容で、政治・経済を始め、小説や詩集、多摩地域のニュースなども掲載されている。政治的にも大きな影響力を持っていたと思われるこの新聞が、なぜ祇園寺から発行されていたのか?気になる謎が多い「多摩新聞」について祇園寺の林田さんにお話を伺った。

『中西悟玄という人物』

そもそもこの「多摩新聞」を発行したのは、今から二代前の八十八代住職、中西悟玄という人物。政治家を志し、世界をまたにかけ、言論や思想、集会の自由を掲げ、活動を行ってきた。時に、自由民権運動が盛んな明治時代、悟玄は言論弾圧とも言える大熊重信の条約改正に憤慨し、アメリカで爆弾を製造し、重信の暗殺を企てた。この事が政府に露見し、追われることとなったのだ。政府から逃れるため、甲州街道を西へ西へと逃亡を続け、ようやくたどり着いたのが空き寺の「祇園寺」だったという。この寺に入り住職となった後、多摩新聞の発行を始め、自由民権運動殉難者慰霊大法要や板垣退助伯の大演説会、三多摩地区農家への養豚、養鶏の奨励等、幅広い活動を行った。林田さんが子供の頃は、周辺にまだ養鶏場が多く残っていたという。ちなみにこの悟玄師の甥で養子にあたる方は「日本野鳥の会」の設立者でもある中西悟堂氏である。

『日本初の美人コンテスト』

政治的なバックボーンを強く持った多摩新聞だが、創刊当初から「北多摩郡美人投票募集」という記事が掲載され、おそらく日本初と思われる、いわば「美人コンテスト」が開催された。プロアマ問わず、十五歳から三十歳までの女性なら誰でも参加できるという条件で幅広く募集し、見事「原よしこ」さんという方が1,170票を獲得し、ミス多摩に選ばれた。今とは違った当時の様子が写真から伺える。

『多摩新聞』

いち早く多摩エリアをブランド化し、コンテンツを企画し、イベントをプロデュースするというマルチな才能を発揮した中西悟玄師。この新聞のほとんどの内容をたった一人で手掛けている。多摩新聞は創刊からわずか一年後に閉刊し、この五年後に悟玄師は結核を患い、亡くなっている。昭和四十五年には調布市によって、多摩新聞全号をまとめた冊子が発刊され、百年前の多摩を伺い知る貴重な資料として、現在も図書館に保存されている。


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