八重洲口周辺
東京駅の東側に位置し、東京駅では西側の出口(皇居方面)を「丸の内口」、東側の出口(日本橋方面)を「八重洲口」と称することから、駅西側一帯を「丸の内」、東側一帯を「八重洲」と通称している。ただし、東京駅の駅舎、プラットフォーム等の施設はすべて千代田区丸の内一丁目に位置し、千代田区丸の内と中央区八重洲の境界は、東京駅八重洲口駅前よりもやや東にある。
八重洲口駅前に位置するグラントウキョウ(ノースタワー、サウスタワー)、シャングリラホテル東京などのビル群の住所はいずれも千代田区丸の内一丁目に属する。
八重洲の地名は、ここに住んでいたオランダ人ヤン・ヨーステンの和名「耶楊子(やようす)」に由来するという説がある。彼は、1600年(慶長5年)に日本に漂着し、後に徳川家康の国際情勢顧問や通訳として活躍し、家康からこの地に邸を与えられた。明治以前は京橋方面から丸の内に入るには外濠を渡らねばならず、呉服橋、八重洲橋、鍛冶橋が架けられていた。外濠は武家地と町人街を明確に分断していて、現在の東京駅八重洲口付近は、北町奉行所の在所でもあった。
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1914年(大正3年)、東京駅が開業した。この時、駅舎は丸の内側に置かれ八重洲側は車両基地となったため八重洲橋は撤去された。しかし1925年(大正14年)に八重洲橋が再び架橋され、車両基地の上を跨ぐ跨線橋が作られて丸の内側に直線的に行けるようになった。
1929年(昭和4年)には東京駅東側に乗車券売場のみの改札口が設けられた。太平洋戦争末期、空襲により八重洲口は焼失した。終戦後、すぐに再建されたが今度は失火により焼失した。1948年(昭和23年)に東京駅拡張工事とともに濠は埋めたてられ、八重洲橋も姿を消した。埋め立てられた外濠跡には鉄道会館ビルが建設され、大丸東京店が開業した。1968年には6階建てから12階建てに増築され八重洲のランドマークになった。60年代後半には大規模な八重洲地下街が段階的に建設され商業施設が大幅に増えた。
平成以降の八重洲口は、隣接する丸の内に比べ老朽化したビルが目立ち、再開発はあまり進んでいなかったが、「東京ステーションルネッサンス」の一環として再開発事業が進められた。2007年11月、鉄道会館ビルの南北に超高層ツインタワービルグラントウキョウが大丸の移転とともに竣工した。その後、鉄道会館ビルは解体され、2013年9月、跡地にペデストリアンデッキ「グランルーフ」が竣工した。駅前広場が整備され、狭かったバス乗り場は大幅に拡張された。鉄道会館ビルの解体により、東京湾側から丸の内側への海風の通り抜けが改善され、ヒートアイランド現象が緩和することが期待されている。